「ノイズ・オフ」劇評

−インターネット上のさまざまな劇評も参考として−

 脚本と演出の勝利である。
もともとマイケル・フレインの本が非常にすばらしいところへ、演出の宮田慶子は実に的を射た解釈をした。
きちんとした演技者が、しっかりとしたチームワーク(アンサンブル)を組んで、その上でさらに不条理なほどのハプニングの連続を、何事もなかったかのごとく演じる。
そうやって、計算されつくしたところから出てくる猛烈なおかしさ。それが、この劇の本質、ということになるのではないか。

 少なくとも出演した誰もが(といっても9人しか出てこないが)、一線を越えて出しゃばることなく、演出者の意図に忠実に動いた。
果たしてこれはハプニングなのか、それとも必然なのか、その区別がつかなくなるほどに。

 ただ、観客の側がついていけていないのは残念だった。
この劇を、単なる「ドタバタ喜劇」として見たい観客の側は、「わざとらしく」「大げさな」リアクションを、そしてそこから見える気楽な笑いをこの劇に求めた。
その結果、確かに笑えたけれど……で、何だったの? という感想を持って劇場を去ることになってしまったのである。

 特に第一幕と第三幕との明らかなる違いから、大いにわざとらしく演じる必然性を、観客は感じたのかも知れない。
しかし、あくまでも第一幕は「舞台稽古」、第二幕と第三幕とは「どさ回り」公演なのであり、実際に第三幕の舞台を見ている観客に示されるのは、第三幕の内容そのものでしかないのである。
そういう前提を持ってみれば、第三幕の演じ方は、それが必然であったかのごとくされなければならないのであり、「どうだ! 笑え!」という演じ方には決してなり得ない、ということもわかってくるはずだ。

 観客が求めたものと、演出が意図したものとの違いに、この劇の「悲劇性」を感じるのは、私だけだろうか。
宣伝側の「ドタバタ喜劇」っぽい売り方が、完全に裏目に出てしまったことも、悔やまれてならない。

 役者の中では、結局持ち味のコミカルさで泥棒役の鶴田忍にたくさんの拍手が寄せられ、演技自体では筒井真理子のうまさが目立った。
榊原郁恵にとっては、観客の一方的な見方がつらい舞台ではなかっただろうか。

2002/09/15 石原隆行(歌謡歌手診断士)
[2002/09/13 ル・テアトル銀座にて観劇]

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2002.09.15作成
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